FIREというライフスタイルを知ってから、ずっと感じていたことがあるんですが...
それは、FIREと無職は何が違うのか?ということです。
無職とは違うのだよ、無職とは!
ネットを見ていると、生活保護やニート、フリーターとFIREは違う!と主張している人を見かけます。
どうも、ニートや無職と一緒にして欲しくない気持ちが根底にある感じ。
生活保護やニートと異なり、FIREは誰にも迷惑をかけていないという点が違う、というのがその根拠だと思います。
しかし、図書館といった公共の施設、もっと言えば道路や病院等の社会的インフラを享受しておきながら、税金を払っていないというフリーライダーという性質を持っている点では、生活保護やニートと同じ。
更に言えば、生活保護やニートは、肉体若しくは精神に疾患を抱えている等、働きたくとも働けない状況であることが多いのに対し、FIREは働けるのに働かない。
つまり、やれないから仕方がない、というわけではなく、やれるのにやらない。
与えられる福祉は最大限享受し、税金は極力納めない。
弱者の皮をかぶった強者。
人間の価値は金を持っているかどうかなのか?
もし仮に自分がFIREした後に生活保護やニートと同列に扱われると、いい気分はしないと思います。
学生時代から頑張って勉強して、社会人になってからも贅沢をせずにコツコツ働き。
十数年頑張って蓄えた資産をもってリタイアしたんだ。
何も築いてこなかった、何も努力してこなかった人間とは違う!
その感情は理解できますし、努力してきたことは事実。
しかし、そこに至るまでの過程はどうであれ、結果として今は社会にフリーライドしていないとは言い難く。
FIREが、生活保護や無職と異なる点は、つまり金を持っているかどうかという唯一点。
無職ではなくFIREを名乗り、彼らよりも上等であると主張する根拠が資産の多寡なのであれば。
つまり、人間の価値は資産の保有量によって左右されると主張しているわけで。
お金よりも自由な時間の方が大事!と謳っておきながら、人間の価値は金を持っているかどうかで左右されるという主張には、少し違和感を感じます。
働いたら負けかな
FIREは駄目、と言いたいわけではありません。
ブラック労働からの解放を願う気持ちは痛いほど理解できますし、労働を強制すること等、あってはならない事。
しかし...FIREとは働かない事。
つまり、会社の働かないおじさんならぬ、社会の働かないおじさん。
自由は素晴らしいことですし、現代日本において全体の為に個人の自由を制限することは不可能でしょう。
一方で、貴方が労働から解放されている陰で、貴方の分まで働いている人間がいるのも事実。
その事実から目を背け、貴方の分まで働いている人間達からも評価されたいと思うことは少し強引ではありませんか?
何故人はもがき苦しむのか?
折角辛い労働から解放されたはずなのに、言いようのない座りの悪さ。
根底にあるのは、
・本当に私が選んだ生き方は正しかったのか?
・労働に苦しんでいる人を横目に自由を謳歌して良いのだろうか?
という罪悪感が原因であることは間違いないでしょう。
...良いのです。
働かなくとも、社会に貢献しなくとも、それでも良いのです。
貴方は、勝ち取ったのです。働かなくても生きる自由を。
自由とは、即ち他人に労苦を肩代わりさせていることだったとしても。
資本主義社会において、資本家が労働者を働かせることに、罪悪感を感じる必要はないのです。
それでも、もし。
もしほんの少しでも罪悪感を覚えてしまうのであれば。
貴方はきっと善良なる魂の持ち主なのでしょう。
FIRE教へようこそ
そんな善良なる貴方の魂に寄り添いたい。
そんな気持ちから生まれたのが、我がFIRE教なのです。
祈りこそが救世。
神と触れ合うことで、世界に癒しをもたらす。
我がFIRE教へ入信するだけ、たったそれだけであなたの魂は救われるのです。
神の存在と神の愛が自分の中にあるということに気づくことで、罪は昇華されるということ。
マイナスの霊的波動を神の愛で反射し、自然界の電気的バランスの崩壊を防ぐことで、絶対的神体(スピリチュアル覚醒状態)へ確実に誘導できるのです...!
終わりに
ということで、働いていないことに少しでも罪悪感を感じている人は、是非とも我が宗派に入信をご検討ください。
免罪符は一枚500円で販売予定です。
たったワンコインであなたの罪の意識を昇華できるのですよ?なんてリーズナブル。
地獄の沙汰も金次第。信じる者は救われるのです。アーメン。