いつか必ずセミリタイアしてやるんだ...!
そう常日頃思っている私ですが、少し気になっていることがあるんですよね...
それはズバリ!日本国憲法27条
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」
この文言が、どうしても気になってしまうのです。
勤労の義務を負ふ...つまり、日本国民たるもの、セミリタイアは許されない。
働けるうちは、働かなくてはならないのか..?
今日は、そんな勤労の義務の法解釈について、調べてみました。
憲法とは、国民ではなく国家を縛るもの
そもそも、日本国憲法とは国民を縛るものではなく、国家を縛るもの。
民法とかはバリバリ国民を縛る目的で作られた法律ですが、憲法だけは違うんですよね。
難しく言えば、国民に向けられたものではなく国家に向けられた法であって、個人がそこに定められた義務に反したからといって、「憲法違反」にはなりません。
だって、私たちは国民であって、国家じゃないんだもの。
なので、憲法違反とは原則的には国家や公務員が犯すものであって、個人が憲法違反するという概念はあり得ないのです。
野球で例えれば、野球のルールは選手に向けて作られたものであって、観客を縛るものじゃない、みたいな感じ?
観客が野球のルール違反をしても、別に問題ないですよね。
というか、そもそも観客はルール違反とか関係ないですよね。
そーいうことです。
ではなぜ憲法に国民の義務が書かれているのか?
でも、不思議なことに憲法に「働くこと」が国民の義務として書かれている。
実はこれ、結構奇妙なことなんです。
だって、「国民は勤労の義務を負う」、なんて書かれても、それを根拠に罰則はないですし、国家を縛る法にいきなり国民を縛る文章が出てくるのですから。
この理由ですが...実は、日本国憲法ができた時の時代背景が原因なんです。
日本国憲法は遡ること昭和20年。
第二次世界大戦で日本が敗戦後、GHQと相談しながら起草されたのですが、ここで色々とありましてね...
権利ばっかり主張するのはけしからん!
GHQ側は最初「勤労の権利だけでいいんじゃね?」みたいな雰囲気を出していました。
でも、日本国側が「いや、勤労の権利と義務にしよう」と言い出したんですよ。
背景としては以下の二つ。
①焼け野原になった日本を再建するには、働かんと無理。
此方は主に資本主義的発想。
「権利だけ主張して義務を果たさないのはけしからん」
当時の偉い方々は、そう思ったそうです。
まぁ実際、当時ボロボロだった日本を再建させるためには、国民にバリバリ働いて納税してもらわないと無理だったと思いますがね。
ただ...出来る限り働いて、出来る限り納税して頂戴ね。
何時の時代も、政府や資本家が考えることは同じ。
②働かざるもの食うべからず。市民よ、労働は義務です。
此方は主に共産主義的発想。
当時、左側の方々は、本気で共産主義が素晴らしいものだと考えていました。
背景には、明治や大正、昭和の時代は、莫大な財産を持ち働かずとも遊んで暮らせるブルジョワジーが沢山いたそうです。
それってずるくない?国民は全員労働者として平等に働くべし!ということです。
実際、共産主義国として、旧ソ連の憲法や北朝鮮の憲法には、日本と同じく「勤労の義務」が明記されてたりします。
そういうわけで、まさかの資本主義と共産主義の意見が一致して、めでたく「勤労の義務」が明文化されてしまったのです。
出来れば働いてくれると嬉しいな
でも、最初に書いた通り、憲法は国民を縛るものではない。
じゃあ、この「国民は勤労の義務を負ふ」はどう解釈すればいいの?というと。
「出来れば働いてくれると嬉しいな」、的な感じで捉えれば良いらしいです。
まるで、引きこもりの子供に対する母親のセリフ...
若しくは、働かずにパチンコばっかりやってる夫に対する妻のセリフ...
そんな、いじらしいとも思えるお願いに対し、私たちの答えは
しょうがないね。だって働きたくないんだから。
働かなくて食う飯はうまいか?
真面目な話をすれば、日本国憲法は、国が国民に対して様々な権利を保障をしています。
それら社会福祉サービスを受ける為には、国民に働いてもらわないと、財源がなくなっちゃうよ。
フリーライダーは許しませんよ。
あくまで、国民の勤労があって、国は福祉のサービスを提供できるんですよ。
そういう風に読み取るのが、流行りの解釈らしいです。
そういわれると、耳が痛い...
実際、生活保護や健康保険等は、普段私たちは払っている税金で成り立っているのも事実。
自分がアーリーリタイアではなくセミリタイア志望の理由の一つとして、これがあります。
終わりに
如何でしたでしょうか?
なお、この解釈はかなーり私自身の解釈も混ざっているので、ご注意ください。
間違っても、したり顔で話したりしないでくださいね。
(しないと思いますけど)
「権利を主張して義務を果たさない」
しんどいばかりの社畜生活はもうNo thank youですが、多少の労働はしても良いかな?と思うのは、この言葉があるからです。
まぁ、仕事辞めたらこんなことすっかり忘れて、週1日すら働かなくなっているかもしれませんが。
それもまた人間。しょうがないね。
以上、ご覧頂きありがとうございました。