ブログの題名を読めばわかると思いますが、私は基本、FIREに肯定的なスタンス。
厳密に言えば、セミリタイアといったスタイルが理想。
全く仕事をしないのではなく、週三日ぐらいでのんびりと気が向いたときに仕事をできれば良いな~。ぐらいな立ち位置です。
よって、FIREを全否定する者には、ところ構わず噛みつく狂犬ぶりを発揮していますが…
かと言って、FIREを肯定するために、労働を全否定するのも、ちょっとなー、と思ってたりします。
怠惰欲と承認欲の狭間で
キリスト教の七つの大罪、っていうのは漫画やアニメでよく出てくるので有名ですが。
仏教にも七つの欲、という定義があるのはご存じですか?
仏教のお偉いさんが言っていたんですが、人間には以下の七つの欲があるそうな。
生存欲、睡眠欲、食欲、性欲、怠惰欲、感楽欲、承認欲。
このうち、怠惰欲と承認欲が、今回のテーマ。
怠惰欲
字のごとく、だらだらしたーい。という欲望。
朝は惰眠を貪っていたーい。かったるいことはしたくなーい。
今日はだるいから仕事したくなーい。
そんな感情も、全てこの怠惰欲のせいだったんだよ!
皆さんも、日々この欲求と戦いながら、仕事に勤しんでいるのではありませんか?
承認欲
認められたい、尊敬されたい、といった欲望。
他者から褒められたい...自分の存在意義を認めてほしい...
自分は、社会の役に立っていると、誰か、誰か言ってくれ...!
これがこじれると、
ホシイ...イイネガホシイ...
という、承認欲求ゾンビが誕生してしまいます。
SNSにより、承認欲求ゾンビが大量発生した現代のバイオハザード社会。
ナイフ一本で生き抜くのはかなりハードです。
社畜と無職
この承認欲と怠惰欲を、サラリーマンとFIREマン(FIREした人)に適用するとどうなるか?というと、例外はあるにせよ、大体こんな感じになると思います。
サラリーマンの場合
承認欲
有能であればある程、会社からは評価され、承認欲は満たされていく。
一方で、無能であればある程、周りから否定され、承認欲は渇いていく。
ただし、会社や上司によっては、普通に仕事をやっていても、評価されないという事態に陥るので運に左右されることもしばしば。
また、自分自身が、「今やっている自分の仕事に、価値があると思えるかどうか」も重要。
怠惰欲
テレワークやフレックスが認められ、残業が少なければ、怠惰欲は疼かない。
一方で、毎日朝早く満員電車で通勤し、終電まで働いていると渇いてくる。
更には、土日も慢性的に働いているような人は、もう怠惰欲はからっから。
怠惰欲が渇いて渇いて仕方がない状態。
FIRE達成者の場合
怠惰欲
ばっちこーい。朝は好きなだけ眠れて、起きたいときに起きれる。
やりたくない仕事は、しなくても良い。
怠惰欲は常に満たされっぱなし。まさに渇く暇がないぜ状態。
承認欲
ここが問題。人によっては、
渇く…渇くぞ…!俺の承認欲が渇ききっている…!
という状態になりかねない。
社畜がセミリタイアしたい理由
多分、超仕事が出来る人は、怠惰欲が疼いて一時的にFIREしたいと思っても、結局仕事、若しくは事業に戻っていくと思います。
それだけ、承認欲求は強いもの。
FIREしたい、セミリタイアしたいと思っている人は、
・どちらかと言えば能力が普通〜残念。
・能力はそこそこだが、会社/上司がブラックで、評価されることが殆どない。
よって、承認欲が常に渇いている状態。
且つ、働き方もハードで、平日は長時間労働、土日も働いたりと、怠惰欲も渇ききって死にそうな方々だと思います。
ただでさえ、働くことで怠惰欲が欠乏しているのに、更に承認欲すら得られないのであれば。
働くことが耐えがたくなり、結果FIRE熱が高まる、ということかと。
とはいえ、能力が平凡以下なら、基本的にFIREしたいと思っても相当な努力 & 時間をかけなければ、まず出来ません。
FIREできる程のお金が、貯まりませんからね。
普通ならここで諦めて、渇きながら生きていくことになります。
因みに、渇いた人生は嫌!我慢も嫌!という我儘な人に対し、社会は一度だけチャンスを与えてくれます。
失敗すれば、人生が終わる...レバレッジというギャンブル...鉄骨渡りだがな...!
セミリタイアしたら、承認欲が渇いていく場合も
鉄骨渡りは冗談として、
・長年の不屈の努力
・親や旦那の金といったチート
・持って生まれた豪運
等によって、FIREできた場合、先に書いた通り、怠惰欲はフルで満たされることになります。
しかし一方で、承認欲は話は別。
基本、FIREをしたからと言って、承認欲が満たされることはないので、だんだんと渇いていくことになりかねません。
ここで、人は大体二つのパターンに派生していきます。
1.ポジティブパターン
あくまで、怠惰欲が渇かない範囲で、仕事を始める。
専門的な知識があれば、今ならクラウドワークスなどのサービスを使えば、仕事を受注することが出来ますからね。
若しくは、仕事以外で自分の承認欲を満たす行動をとる。というのもOK。
例えば理解ある恋人や家族、友人等に囲まれている人は問題ありません。
そもそも、社会からの承認を得なくとも、もっと身近な存在から承認を得ることが出来ていれば、承認欲が渇くことはないでしょうが。
また、自分自身で、自分のことを承認出来る人は最初から問題ありません。
先に上げた二つは、他者から自己を承認してもらうやり方でしたが、別に他人から承認してもらわなくとも承認欲は満たすことが出来ます。
他ならぬ、自分自身が、自分のことを承認すれば、それで事足りますからね。
2.ネガティブパターン
他者、若しくは自己から承認欲を満たすことが出来ず、渇ききった場合、人はどうなるのかというと...
50%の確率で、他者を攻撃し始めます。
何故なら、自分の尊厳を守るには、それしか方法がないから。
自分が間違っていないことを、他者を否定することで証明する…
承認欲を全く得られなかった場合、人は自己防衛の為そのような行動をとってしまう、哀しい生き物なのです...
更に最悪なことは、他人を攻撃できない50%の心優しい人は、自分の尊厳を守れずに自壊していきます。
こうなると、もう何のためにセミリタイアしたか分かりません。
何でもいいので、自己承認をしていきましょう。筋トレとかおススメです。
社畜は無職を馬鹿にし、無職は社畜を馬鹿にする
サラリーマンがFIRE達成者を何故否定するかというと、怠惰欲が欠乏しているから。
疲れた...休みたい..だるい...と慢性的怠惰欠乏症を患っているところに
「無職最高!」
「自由に働くって、素晴らしい!」
というSNSの投稿を見ると、イラっと来るのが人間。
なんで俺はこんなに大変な思いをしているのに、こいつらはこんなに楽して人生過ごしているの?俺が間違っているのか?
いや、俺は間違っていない!間違っているのはあいつらだ!
そんな感じ。
FIRE達成者が、労働者を何故否定するかというと、承認欲が欠乏しているから。
あれ?俺何のために生きているんだっけ...?と慢性的承認欠乏症を患っているところに
「仕事充実!」
「大変だけど、誰かの役に立つって気持ちいいよね」
とかSNSの投稿を見ると、落ち着かないのも人間。
社会の役に立てていない...FIREした俺が間違っていたのか...?いや、俺は間違っていない!
あんな辛い労働を肯定している、あいつらが間違っているのだ!
こんな感じ。
のどが渇いて渇いてしょうがない時に、横でビール超うめぇー!幸せー!と、がぶ飲みされたら、そりゃ「はぁ?」ってなるもんです。
誰だってそーなる。私だってそーなる。
承認欲求との付き合い方
ということで、もし仮にセミリタイアできて、怠惰欲は満たされたとしても、今度は承認欲とどう付き合うのか?というのがポイントとなりそう。
①専門的なスキルを身に着けて、無理ない範囲で社会に貢献するのか?
②理解ある伴侶を見つけて、温かい家庭を築くのか?
③自分を自己肯定できるよう、悟りを開くのか?
どれも難易度がなかなかのルナティック...
まぁ、かと言って①~③全てが0な人も稀でしょう。
①に関しては、専門的な知識がなくとも、何らかの形で社会に貢献できるチャンスはあるでしょうし、②は、例え伴侶がいなくとも友人、家族はいる人が殆どだと思います。
③も、セミリタイアできる程資産を貯めれたということで、自負心も多少なりとも満たすことは可能...かな?
まぁ、少なくともセミリタイアしたら、怠惰欲は確実に満たすことはできるので、もう承認欲求は程々でいいじゃないですか。
それで満足しましょうよ。
…そんな簡単に解決するなら、誰も悩みはしませんわな。
終わりに
如何でしたでしょうか?
今回、FIREしたい理由の一つとして、怠惰欲に焦点を当ててみました。
実際には、怠惰欲だけでなく、防衛欲や不可侵欲などといった複数の欲求も関わってくる、と思います。
また、FIRE後に、なんとか承認欲を満たすことが出来たとしても。
新たな欲が現れてくるのは、容易に想像がつきます。
実際、人間の欲求など果てしないもの。
所属欲、優越欲や達成欲、果てには自己実現欲など、挙げればきりがない。
万が一、本当に万が一ですが。
天職に就き、愛する人を伴侶にし、かわいい子供も持ち、理解ある友人に囲まれたとしても、きっと人は満足できないのでは...?
今度は、それを失うことに不安を覚え、保持欲などが疼いてきそうですね。
人の欲望なんて、きりがないですが、リソースは有限。
全ての欲望を叶えることは不可能。
逆に考えれば、常に目指すべき目標があるのが人生、と言えるのかもしれません。
全く問題のない、全て満たされた完璧な人生も、それはそれで味気無さそうですしね。
願わくば、他者を否定するのではなく、自分を肯定できる人間になりたいものです。
心の中に妓夫太郎を飼う我が身では、叶わぬ夢かもしれませんが。