私達は働かなくては生きていけないという呪いにかかっているのかもしれません


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この間友人と飲んでいたのですが、やはり私の友人になるだけあり、そいつも仕事はクソだと愚痴を零していました。

 

まぁそいつは私の仕事が緩いと感じるほど生粋のブラック企業に勤めていてですね。

 

なんちゃってブラックの私と違い朝から晩まで働き、土日もどちらか出勤しているのでそりゃ愚痴の一つも言いたくなるだろうと思います。

 

ただ、その分お給料も私より稼いでおり、世間一般でいうエリートサラリーマン。

 

貯金もたまっているでしょうし、実際の所セミリタイアを考えたことがないのか?と聞いてみたんですよ。

 

そうしたら、セミリタイア?無職はちょっと…みたいな反応。

 

FIREという言葉も知らず、理解を得る事はできませんでした…

 

そいつは大学も一流、会社も一流で仕事もできる男なのに、投資などはしておらず。

 

セミリタイアも、無職だろ?と少し小馬鹿にした感じで、有り得ない、というものでした。

 

…これなんですよね。私がセミリタイアに踏み切れない理由は。

 

既にセミリタイアしている人の貯金額や支出を鑑みるに、正直今からでもやろうと思えばセミリタイアできなくはないんですよ。

 

物欲を母親のお腹に置き忘れてしまったのか、物もほとんど買いません。

 

決して裕福な暮らしはできないものの、週2、3日バイトすれば後は株などの不労所得で生活できるレベル。

 

にも関わらず決断できないのは、働いていない人間に対する世間の目。

 

まるで、落伍者を見るような目で見られることに納得いかないのです。

 

どうせ無能だから会社クビになったんだろ?とか、いい歳してフリーターかよ?とか、大学まで行ってバイトで暮らしているのかよ笑

と言われているんじゃないかと思うと、踏み切れない。

 

勿論、そんなこと気にしなければ良いということはわかっています。

そもそも、本当に周りの人間が皆そう思っているかなんて分かりません。

世間の目とは言いますが、その目というのは自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれませんしね。

 

いい大学を出ていい会社に入って定年まで働く、ということが常識だと子供の頃から言われ続けたことで、もはや呪いの域にまで達しているのでは?と最近思い始めました。

 

国民の三大義務である勤労、納税、教育。

昔はそんなの当たり前だろと、少しも疑問に思ってませんでしたが、今考えるとよく出来た憲法ですよ。

 

そのように教育を長年受けてきたことで、それが当たり前と刷り込まれてしまっていますからね。

 

なんなら、働かないことに罪悪感を覚えるレベルにまで洗脳されてしまっています。

 

この呪いから解き放たれるには、世間の目という自分が今まで思ってきた常識を打ち破らなければならない。

 

アインシュタインも言ってますが、

常識など、今まで集めてきた自身の偏見ですからね。

 

セミリタイアの市民権が得られるのはいつになるのか…?

 

しかし、セミリタイアすることが羨ましいと思われたい、と思うこともまた世間の目を気にしているわけで。

 

結局は世間からどう思われるのか?ということを気にしすぎなんですよね。

 

いやぁ、誰も人のことなんてそこまで気にしてないでしょうに、何をそんなに気にしているのか。

 

我ながら、愚にもつかない事ばかり考えてしまう毎日です。

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